「いついつにどこどこに引っ越ししたいと思っています。鑑定をお願いします」
このような質問をいただく場合、
こういったケースでは、まず十中八九、転居先は凶方のパターンです。
それはもう、メールをいただいた瞬間に答えられるくらいの確率なのですが
その理由としては、まずひとつには、吉方の少なさが挙げられますね。
どこかで書いたと思うのですが、吉方転居を成し遂げるのは本当に針の穴を通すようなもので、思いつきの場合はまずこの確立を引っ張ってくるのは無理でしょう。
本気で吉方転居を行う場合、少なくとも年間計画、あるいは数年計画で進めないとなりません。
当サイトを訪れている方は、もともと気学や風水に関心が高い方だと思いますので、もしかしたら知人友人親戚などで「そんな数年なんてかからず、あっさりよい方角に引っ越した人がいる」という話を聞いた方があるかもしれません。
気学一つにしても、流派も多く、また、気学だったり風水だったり、中国式だったりと様々で、ある占い師はNGと言ったものが、別の占い師ではOKだった、ということはままあることです。
この問題は永遠のテーマなのかもしれませんが、私の考えでは世界にただ一つの真実なんてものはなく、何を選びどこに導かれるか、これも縁というだけのことでしょう。
しかし、若干気になることがあります。
最近、転居の相談を受けた方の場合ですが、私の鑑定では凶方だったのでお勧めしなかったのですが、その方は物件が気に入っていて諦めきれなかったんですね。
ご自身で別の占い師を探してきて、その方に方違えの呪いなどをしてもらい、そこで販売する厄除けアイテムを置くことで対処した方がいます。
先ほど、「いついつにどこどこに引っ越ししたいと思っています。鑑定をお願いします」というケースに凶方が多い理由の一つに、吉方の少なさを挙げましたが、それ以外に、こういったケースが非常に「執着」に基づいているという印象があります。
特に多いのが「物件が気に入っている」というものですが、どうも物件を気に入ってしまうと、いくら方角が悪くても家相が悪くても、耳をふさぐ傾向にあります。このあたりは恋愛に似ているのかもしれませんね。
それでいて、凶方でもここに住めるなら構わない、とまでは思わないようで、耳触りのいいことを言ってくれる別の占いを探す、というパターンです。
このパターン、私は営業職が長いので手に取るようにわかるのですが、実は、相談を受ける側からしたら、カモがネギを背負ってくるようなものです。
もちろん、悪い鑑定士にひっかからなければそれでよいのですが、アイテムによる対処というのは、そうですね・・・私に言わせると「見るだけで痩せるダイエット絵画」のようなものでしょうか。そんなものがあるかどうかわかりませんが。
行動、実践、努力、忍耐、我慢など。そういったことを排除して得られる開運はありません。
気学、風水のまともな鑑定士なら、方角の効果が努力の上の最後の一押しであることを必ず伝えるはずです。
かといってもちろんその方の不幸を願うものではありませんし、先ほど述べたように占いには流派がたくさんあり、何を選んで行くかはその人の縁でしかないので、こちらとしてもその方に執着するわけではないのですが、どんどん運勢が悪くなるパターンのひとつであるとは経験上思います。
「気にいった物件に住むことの何が執着だ」と考える方もいるかもしれません。
これも理由があり、転居の鑑定にはその物件の方角や家相のみならず、出会った時期、また、その時期の運勢など、様々な観点から判断しています。
それでどこから見ても、凶意に呼ばれているとしか思えないような鑑定結果の方ほど、執着を見せるようです。
物件を気に入るのはいいのですが、なぜその物件を気に入っているのか、紐解いてみれば単に悪い運気に呼ばれているだけ、ということもあるのです。
最初に誰かに悪いと言われた物件など、縁起も良くないのであっさりやめてしまえばいいと思いますし、また、えてしてそういう選択ができる方の方が、開運は簡単なようです。
猿を罠にかけるには、猿の片手が入るくらいの穴をあけた箱の中にバナナを入れておきます。
箱に手を入れてバナナを掴んだ猿は、箱から手を出そうとすると、バナナがつかえて手が抜けません。
バナナを離せば手は抜けてその場から逃げることができるのに、バナナを離さないから捕まってしまいます。
この話は小林正観さんの本に書いてある話ですが、「執着」を表すのにこれほど見事な寓話はないように思います。
個人的にも物事がうまく進まないときは、自分が何か、猿のバナナのように掴んでいないか自問自答すると、問題点が見えてきたりしますね。
過去に一人だけ、家庭の都合で転居する方が指定してきた時期と方角が見事に吉方で驚いたことがありますが、実はその方は宗教に関係している家系の方で、日ごろの行いのみならず、前世、あるいは先祖の徳などがあるのかもしれないと考えたことを思い出します。
住むところというのは必ず縁があります。
できれば、どんな方にも悪縁より良縁を結んで欲しいと思うのですが、こんな風に思うところも、やはり恋愛と似ているのかもしれません。
まあ、誰が誰と一緒になろうと、その人の人生なんですけどね(^^;)