立春すぎて新しい年になったと思ったら、今年は早々に、新型コロナ肺炎の影響で大変な幕開けとなってしまいましたね。
今月は年月同盤で吉方旅行を計画していた方もおられると思いますが、中止にしたでしょうか? あるいは、経済活動のためにあえて出かけているでしょうか?
まさか、吉方だから大丈夫なんて理由で出かける方はいないだろうと思いますが。
本質を見極める
当サイトは吉方旅行に行きましょうとお伝えしているのですが、実は、動くことと同じくらい「動かないでいること」というのも重要です。
動くべき時、動かずにじっとするべき時を見誤らないでもらえたらと思います。
流れができているか、無理を通そうとしていないか、そんなことを判断できるようになるといいですね。
さて、今日はよくいただく質問について書いて行こうと思います。
小言やお説教に聞こえてしまうこともあると思いますが、最後までお読みいただけたらと思います。
質問「ほかの占い師のところでは」
新型コロナでもいろいろな有識者がいろいろな意見を述べて、例えばかかっても症状が軽い、重い、風邪のようなもの、風邪のように考えるな、検査をするべき、しても仕方ない、手洗いが大事、うがいは何回以上、病院に行くべき、院内感染を避けるべきなど、情報はシャワーのように降り注ぎ、相反する意見や異なる見解に、いったい何を信じればいいのか右往左往することもあるのではないでしょうか?
占いも同様で、よく尋ねられる事のひとつに、「ほかの占い師さんのところではこう言っているのだけど?」というものがあります。
相談でも「ほかの占い師にこう言われたけど」という質問は以前から多く、セカンドオピニオン的に聞きたいということもあるでしょうし、うちではどのような見解、考え方をしているのか、という質問は理解できます。
ただうちではよその占い師さんの考え方はわからないですし、こうではないかという想像しかお伝えできません。
もしわざわざお金を払って一度見てもらっているなら、その答えはその占い師さんに聞いた方がよいのでは?と思う質問もあります。
そういう時はそうお伝えするのですが、何か聞けない事情があるのか、わざわざ聞きに行く方はほとんどいないようです。
こういったケースでは、占い師ジプシーにならなければよいなと思っているのですが。
理論は別としても、少なくとも他サイトのことや他人様が作ったアプリのことなどはこちらでは解りかねますので、そういったご質問はそちらの運営者さんに尋ねるようにしてもらえたらと思います。
あとはときどきあるのが、ほかのどこかで読まれたことを、当サイトに書いてあった(ここで伝えている)と思い聞いてくる方ですね。
気学や風水が好きで、いろいろな情報に触れるのは別に悪い事ではないですが、思い込みで質問をしていないかどうか、送信する前に一度読み返してもらえたらと思います。
メールに感じるひとつの傾向
質問ではないのですが、この機会にちょっとお伝えしておきたいことがあります。
そもそも占いは、順調な時に頼りたくなるものではありません。
当サイトに相談のメールを送ってくる方は、本当に身動きが取れないほどの苦境にはまり込んでいるという方が少なくありません。
特に幼いころから家庭環境に恵まれていなかった方や、苦しい時期が長かった方は、いろいろな思いに苛まれていますので、心のゆとりがないことはわかります。
私自身も通ってきた道ですので、わかってはいるのですが、でもどうしても言わなければならない時があります。
これまでご相談を受けてきて、人生の転換がなかなかうまく行かない方の文章に、ひとつ典型的な傾向があります。
それは「ありがとう」という言葉が少ないという点です。
もしかしたらこれを読まれて自分のことだと思った方がおられるかもしれませんが、決して誰かを特定して伝えているわけではありませんので、当て擦りと思われませんように。
これまでのことで、一人や二人のことでもないのです。
そもそもそういう方は、返信を返さないことが多いというのも特徴のひとつです。
自分が求める質問を伝えて、回答が得られればそれで完了とする。
たった一言「メール受け取りました、ありがとうございました」こんな言葉を返すだけでいいんですよ。
そんなことの積み重ねがどれだけ人生に影響を与えてしまうかを、わかっておられないのだろうなと思います。
これは完全に小言ですが、例えメールであっても、まず書き出しは相手の名前を書く。
最後は自分の名前で締める。
それくらいは最低限の礼儀ではないかと思うのですが、唐突に用件だけ書いてくる方は少なくありません。
最近のメールはスマホ等で、気軽にメッセージを送るような感覚なのかもしれませんが、友達にメールを送っているのではないのです。
普段から誰に対してもこうなのだとしたら、人間関係に問題が生じていないか心配になってしまいます。
これも普段の行動すべてに該当することですが、お金を払っているのだからサービスを受けて当然と思うのも、運勢を悪くする要因です。
占いに正解はない
先ほど「占い師ジプシー」という言葉を出しました。
例え同じ占いであっても、流派や個人によって理論や見立てなどが異なります。
これも大事なことなのですが、それは正解があるというよりも、どんな縁を持っているかということだと思います。
例えれば宗教と同じで、どの神様が正しいかという話ではなく(そういうことで争っている人たちも多いですが)、どの神様と縁があったかということです。
占い師ジプシーとなってしまう方は、宗教の本質を理解しないで、この神様は自分を救ってくれる、この神様は自分を救ってくれないと一方的に判断し、彷徨っているようなものです。
よくお伝えするのですが、占いはしょせんツールでしかありません。
その本質は、自らが人生をよりよく生きるためのものですので、占いに依存してもいけませんし、占い師に人生を預けてもいけません。
宗教もまたしかりで、その宗教があなたを幸せにするかではなく、その宗教であなたが幸せになれるかということが大切なのです。(何を持って幸せとするか、というまた別の議題もありますが)
それが自ら主体的に生きるということになります。
私は占い師ですので、クライアントのみなさんが思っているよりも、本来のその人というものを見ています。
その人にとって必要な出来事が起きていると思うこともあれば、この方はプライドが邪魔をして、うまく行っていないと感じる場合もあります。
占いといえどどこまで行っても本質は、クライアントさんが幸せになることです。
そのため、あえて言わなくてもいいことをお伝えすることもあります。
そんなメールを受け取った時、言う方も考え抜いて、言葉を選んで伝えているのだと思うのは難しいかもしれません。
決して「あなたのためを思って言っている」という偽善めいた気持ちでお伝えしているのではありません。
どうしても必要だからお伝えしているのです。
言わないで済むことは、こちらも言いたくないと思っています。
そんなことも理解してくださると嬉しいと思います。
質問「神社参拝なら凶方でも行っていい?」
また別の質問で、特に伊勢神宮に多いのですが、『参拝したいけれど凶方の時期になる。是でしょうか非でしょうか?』という質問をよく受けます。
多くが凶方だとわかっていて聞いてこられるので、「神社ならOK」ということがあるのではないかという考えだと思います。
『神さまへの参拝は方角の影響を受けない』という話があるようですが、それならすべての旅行で神社参拝をスケジュールに組み込めばどこにでも行けますね。
それはそれで、そう信じて動いてもいいと思います。
私の説ではないので、それで大丈夫だとは言いません。ですが、何を信じどう動くかは自由です。
うちの見解を伝えておくと、占いの影響がない人に書いたように、「神事は方角の災いを受けない」とは、神社仏閣へお詣りに行くことではなく、神様に選ばれた人が神様の手足となって働く場合は方角の凶効果を受けることがない
ということです。
ですのでこの質問の場合、こちらでの回答は、その伊勢神宮参拝が、どんな本質において行われるかによります。
そしてその答えは、本人にしかわからないことです。
物見遊山で行きたいけれど、凶方だから誰かに良しと言ってもらいたいのか、回向発願、自分のためではなく人のために願いに行くのか。
後者であればそもそも質問など必要なく、心を決めているだろうと思うのですが。
迷っているから聞く、そして迷っているということは心が決まっていないからだということに、気が付いてもらえたらと思います。
これは、神社参拝ばかりではなく、物件等に関してもいえますね。
本質を見極める
多くの質問を受けていて感じるのは、何をするにせよ、その本質とはなんなのかという問いを頭に置いてもらうと迷いが少なくなるのではないかということです。
しかし、本質を見極めるのは実は簡単ではありません。
それは人に迷いがあるからではなく、物事の本質を見極められるようにするには、自分自身がクリアな状態でいなければ難しいからです。
そして日常生活というのはまさに修行の場ですから、さまざまな問題が降りかかってきます。
そんな中でいつもクリアでいることは難しく、心や精神に澱が溜まるとなかなか本質に辿り着くことはできません。
それを変えて行くには、坐禅を組む、祝詞、お経を唱える、瞑想をする、掃除をする、善行を積む、吉方旅行が可能な時は吉方に行ってもらうなどして、浄化に勤めるしかありません。
そしてもっとも機会に溢れていて、もっとも大きな効果があるのは、感謝の気持ちを持つことです。
私たちは神職に就いているわけではありませんので、常に感謝と奉仕の気持ちを持つなど、そうそうできることではありません。
ですが、今よりほんの少し先に、一歩だけ前に、階段を一段だけ上がる、そんな気持ちで大丈夫ですので、よりよい人であろうとするのを止めないでもらえたらと思います。
毎月の占いによく書く言葉ですので、目にした方もおられると思いますが、四方八方塞がったら、上に行くしかないのです。
そして当サイトが吉方旅行をお勧めする理由は、何も意識することなく、自然にそういうことができるようになるのが吉方旅行だからなのです。
吉方旅行は運気を上げる?
当サイトでは毎日の吉方をお伝えして、毎月、毎年の吉方もお伝えしていますが、随所に「吉方旅行に行きましょう」という言葉が出てきます。
「吉方旅行で運気を上げて」とか、「運気の後押しに吉方旅行を」などとお伝えしています。
しかし実は、吉方旅行の目に見える作用は、方角の効果の本質ではありません。
そもそも吉方旅行の効果は時間の経過と共に消えてしまいますし、落ちている小銭を拾う程度のものと言っている鑑定士さんもいますね。
吉方旅行に夢中になっている方々は、目の前の現象に気を取られ、そのことにあまり気がつていないのかもしれません。
ですがご本人がそれでよいのですから、何の問題もないことです。
そういったことを勧める占い師と巡り合ったのかもしれませんし、それが先ほど伝えた縁というものです。
それでもうちでも、吉方旅行はお勧めします。
本質的な目的は違いますが、やっぱり吉方旅行は運勢を転換させるきっかけに適しているからです。
しかし運気が下がっていれば下がっているほど、繰り返し、遠方まで、長期間の吉方旅行が必要になります。
効果が感じられるまでには、最低でも数か月は続けて吉方旅行に行ってもらいたいというのが本音です。
これは金銭的に窮迫している方には、難しいこともあると思います。
そんな方が運勢を変えて行くには、感謝の気持ちを持つことや善行を積むことなど、日常生活でお金をかけずにできることをコツコツ続けてもうらしかありません。(本来これは吉方旅行に行ける人はやらなくてよい事ではなく、誰もがやった方がいい事ですが)
延命十句観音経という短いお経を毎日唱えるのも、すぐにできるよい方法です。
『延命十句観音経』
観世音 (かんぜおん) 南無仏 (なむぶつ)与仏有因 (よぶつういん) 与仏有縁 (よぶつうえん)
仏法僧縁 (ぶっぽうそうえん) 常楽我常 (じょうらくがじょう)
朝念観世音 (ちょうねんかぜおん) 暮念観世音(ぼねんかんぜおん)
念念従心起 (ねんねんじゅうしんき) 念念不離心 (ねんねんふりしん)
一日百回をお勧めしていますが、繰り返しクセになるくらい唱えられるようになると、少し変化に気が付かれるのではないかと思います。
祝詞や般若心経など、長い文章で時間もかかり、覚えるのも大変だと思います。
延命十句観音経は短くてもパワフルなお経ですので、覚えておかれるとよいと思います。
最後に
今回は小言のようになってしまいましたが、こんな文章を最後までお読みくださってありがとうございました。
クライアントさんのほとんどの方は礼儀もちゃんとしていますし、自分の人生に起きたことを自分事としてとらえ、前に進むために占いを利用しています。
最後にお伝えしたいのは、占い師は人を導く存在ではなく、アドバイスをもらう存在だということです。
気学も風水も、魔法ではありません。
人生をやり直すために、よい流れを作る助けをしてくれるものです。
その主体はいつも自分自身であり、そして自分自身の人生の主体であるためには、必ず、自分の人生に起きたことは、自分自身が何とかしなければならないのだという思いがなくてはなりません。
占い師の言葉はアドバイスと捉え、下駄を預けてしまうことなく、自分で決断して進んでいく。
所詮アドバイスだからと真剣に耳を貸さないのも問題ですが、先ほどもお伝えしたように、占い師に人生を預けてしまうのも問題です。
常に中庸の気持ちで、偏らずバランスを取りながら進んで行く。
それが、占いをうまく使うポイントではないかと思います。
以上です。
長くなりましたが、最後までお読みくださってありがとうございました。
森木