お墓参りは誰のため?徳にも陽と陰がある話

灯篭流し画像

今日は8月15日で月遅れお盆ですね。

今日あたりはUターンラッシュも
ピークではないでしょうか。

お盆に帰省し、実家で過ごしたり
親戚が集まったり
お墓参りに行った方も多くおられると思います。

今日はそんなお墓参りに関した
徳のお話です。

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お墓参りは誰のため?徳にも陽と陰がある話

まず風水とお墓というのは
とても大きな関わりがあり
そもそも風水というのは
お墓の相を考えるために作られたものです。

お墓画像

その考え方を生きている人の家にあてはめたものが
昨今、世間で言われている風水というものですね。

そこから発展して
インテリア風水やカラー風水など
多くの流行が作られましたが
今述べたように
本来、風水とはお墓のために造られたもので
その目的は
子々孫々の繁栄のためというものです。

風水ではそれだけ、家の繁栄のためには
ご先祖様の力が大きいということでもありますね。

宗教に関しては多くの考え方があると思いますが
例えば仏教では、お墓参りは先祖供養ではなく
自分の徳を積むためという考え方を
取り入れているところもあります。

蓮画像

仏教ではお亡くなりになった方はすでに
「仏様」として位が上がっていますので
仏様のお世話をさせていただくことが
徳を積む行為になるという考え方ですね。

(※他にも考え方はいろいろありますが
幅広くなりすぎるので割愛します)

仏壇画像

さて、この徳を積むという行為にも
陰と陽があることをご存知でしょうか。

陰陽論では、宇宙の森羅万象ありとあらゆるものに
陰と陽がありますので
徳に陰と陽があるのも当然かもしれませんが
この、陰徳と陽徳というのが少し興味深いので
今日はこのお話を取り上げてみたいと思います。

徳とは

最初に『徳』というものがどういうものか
わからない方はいないとは思いますが
実は『徳』というのも意外と難しく
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説では
このように書かれています。

哲学,宗教の中心的課題の一つ。倫理的,道徳的善に対する意志の恒常的志向性,ないしは善を実現する恒常的能力をいう。したがってそれがみずからの修練によるものであるか否かを問わず身についたものでなければならない。(一部抜粋)コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%BE%B3-104641

『徳とは常に身に付いているもの』
付け焼刃の徳積は
徳ではないということになりますね。

大辞泉では立派な行いや品性(他あり)と
なっていますが、広義的には『善行』といったところでしょうか。

陽徳と陰徳

『徳』を善い行いとして
その中でも<陰徳>と<陽徳>の二つに分かれます。

陰陽マーク黒

陰徳とは同じ善行でも
人目に付かずに行う善行で
陽徳とは一般的にはその逆で
人に知られる善行とされています。

陰徳陽報

功徳として積むことができるのは陰徳の方で
『陰徳陽報』という言葉がありますが
陰徳は陽となって報われるという意味です。

逆に、陽徳はまったく徳にはならない
悪いだけのものと考えられていることもありますが
実はそれもまた違っていて
人目に付こうが付くまいが
善い行いは善い行いでそれでいいのです。

例えばお墓参りでいえば
お盆やお彼岸に限らず
親戚にわざわざそれを伝える事もなく
ただお掃除のためにこまめに通っているような行い。
これは陰徳といえるでしょう。

菊の花画像

一方で、お墓参りに行ってきて
「先祖供養をしてきたよ」と
周囲に言って回ることで
“善い人と思われようとする行為”
これが陽徳である、ということではないのです。

陽徳を誤解している

意外と多くの人が陽徳を誤解していて
いいことをしたアピール=陽徳ではありません。
いいことをしたアピールは自慢話であり
自己満足を満たしたいというだけのことです。

どうしても人には承認欲求がありますから
「よい人だと思われたい」とか
「人に自慢したい」とか
行動に対しなにがしかの見返りを期待する気持ちは
出てしまうことがあります。

ほおずき画像

しかし、徳という観点で考えると
その気持ちを持ってしまうと
どんな行いであっても
徳にはならないということです。

陰徳についても
例え誰にも内緒で善行を積んでいても
“これで自分の徳積みになる”なんて気持ちがあれば
それも陰徳とはいえまえん。

そして陽徳とは、人に明らかになっているというだけで
それが徳行であることには変わりありません。

陽徳とは万物生成の力

本来、陽徳には
万物を生成発展させる宇宙の徳という意味があり
植物の種が水と太陽の力で成長するような
大いなる陽の力の働きのことです。

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お日様が、人が見ているからと
大地を暖め照らすのを止めるわけがないように
人が見ているの見てないのと
そんな小さな世界の話ではないことを
知っておかなければなりません。

さて、お墓参りに話を戻しましょう。
親族で先祖のお墓参りをし
手を合わせて近況を報告する。

きっとご先祖様も喜びますし
ご家族の皆さんも
日本の夏らしい過ごし方を家族でできて
よかったことと思います。

お墓参りする子供

そこに先祖を供養しようとか
徳積みだとかいう気持ちは
必要ないですよね。

陽徳の大いなる万物生成の力によって
今ここに、自分が
ご先祖からつながる命をいただいている。

墓前ではただそれだけを感謝して
そしてまたその感謝の気持ちを
子供に教えていけばよいのです。

無我の境地にならなければと
そればかり考えている
無我の境地なんてものは
存在しないわけですから。

蓮画像

人が見ていようが見ていまいが
ただ黙って人のために行動し
それを驕ったり誇ったりしなくなって初めて
徳というものが出てくるといういことです。

その境地に至れない人は
(もちろん私も凡人ですのでそうですが)
これだけを覚えておいてください。

結論・徳は積む?積まない?

自慢しようが、自分のためだろうが
善い行いをした方が、よい。
あれこれ考えたところで結論はこれだけです。

誰かがよい行いを自慢したら
「それは陽徳ですよ」なんて間違った注意をするよりも
「それは素晴らしいですね」とにっこり笑う方が
よほど徳を積む行為に近く
宇宙によい循環を呼ぶことを、お忘れなく。

ご先祖様もそんなあなたを
天から見て喜んでいると思いますよ。

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