あかるい明日番外編『世界の占い・スピリチュアル紹介コラム』から、今回はコラムをお送りします。お楽しみください。
スピリチュアルとコナン・ドイル
名探偵シャーロック・ホームズを誕生させた、サー・アーサー・コナン・ドイルを知らない方はほとんどいらっしゃらないかと思いますが、彼が晩年、妖精などのスピリチュアルな分野に興味を持ち色々な作品を残したことは意外と知られていません。
推理小説界におけるホームズの存在ほどではなくても、その確実な成果はもっと注目されるべきだと思うので今回はそれを大まかながらお伝え致します。
コナン・ドイルの死生観
まず、彼は戦争を体験した世代だということが大きいです。
目の前でたくさんの戦友たちが命を失ってゆくのですから、その魂たちはこれからどこへ行くのだろうと考えざるを得なかったのでしょう。
それを傷ついたからだとかトラウマでおかしくなったと考える人もいるようですが、誰だって死というものにリアルに直面したならば、その行く末をまじめに考えるものではないでしょうか。
彼の場合、それが妖精画であり心霊学だったのです。
心霊学の普及
コナン・ドイルは戦後ヨーロッパ各国、そしてアフリカ各国で講演を行い、いかに心霊学がすばらしいものであるかを語りました。
そして1925年の国際心霊主義者連盟の会議がパリで開催されましたが、ここでコナン・ドイルは議長を務めています。
彼がスピリチュアルな方面に費やした金額は生涯で5千万円(25万ポンド概算)ほどになるという話がありますが、真偽のほどは定かではありません。
チャレンジャー教授のモデルに?
そして、ストランド・マガジンに発表された連載小説「霧の国」では、チャレンジャー教授が最初は全く心霊的なものを認めようとしないものの、だんだんと不可思議なその存在を受け入れるようになるというストーリーが展開されてゆきます。
このチャレンジャー教授のモデルは言うまでもなくコナン・ドイル本人であり、自分自身のイメージを用いて執筆したようです。
晩年のコナン・ドイルはホームズ作品の連載を一応は書いたのですが、ファンからの評判はあまり良くなかったといいます。
後に「シャーロック・ホームズの事件簿」という単行本にまとめられましたが、その収入のほとんどは心霊学の普及活動のために使われました。
妖精写真事件
また、コティングリー妖精事件という出来事があります。
9歳と15歳の少女らが「妖精を見た、写真を撮った」として発表したのですが、コナン・ドイルはそんなに幼い少女たちが偽造写真を作る技術はないだろうという考えもあり、また彼の熱心な心霊主義もあり、その写真を本物だと信じて疑いませんでした。
晩年、彼女らがおばあさんといえる年齢になった頃になり、あれはつくりものであったと世間に公表されるのですが、その時にはコナン・ドイルは亡くなっているので彼が真相を知ることはありませんでした。
晩年のコナン・ドイル氏の小説「霧の国」や他の著作「マラコット深海」、「妖精の到来」、「新たなる啓示」は読者を選ぶ作品かと思いますが、もしもコナン・ドイルについてもっと知りたかったり、彼の心霊学活動に興味があるなら、一度読んでみると面白いと思いますよ。
霧の国 / コナン・ドイル / 東京創元社
マラコット深海 / コナン・ドイル 大西尹明・訳
参考にさせていただいたサイト様など
アーサー・コナン・ドイル―Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/
謎カレンダー http://enigma-calender.blogspot.jp/2013/12/The-Case-of-the-Cottingley.html
ありがとうございました。