ここでは、ただ思ったことや気づいたことなど
ただただ綴っていきたいと思います。
あまりみなさんのお役に立つ内容ではないと思いますが
どうぞお許しいただけたらと思います。
以前、障害を持つ子供たちの施設で働いていたときに
この言葉に出会いました。
立花大敬さんという方が紹介していた禅の言葉
「ただ伸びていこう ただ広がっていこうとするのが 命の本質意志」
運動が大嫌いで我が子でさえ公園遊びに連れて行くのが億劫だった私が
その職場では、子供たちと手をつないで
ちょっと神経を研ぎ澄ませながら毎日散歩していました。
(子供たちに危険がないようにと気を配るので)
散歩の途中、気が付いたことがたくさんありました。
どこもかしこもコンクリートで埋め尽くされて
雨水も行き場がないような舗装道路しかない道に
花が咲いています。
雑草も生えています。
虫がいます。
川には鳥が来ています。
カメもいました。
鯉もいました。
障害のある子供たちは、窮屈な生活を送っています。
私たちの生活の基準は、いつも健常者です。
親御さんでさえも
「せめて買い物くらい」
「せめて料理くらい」
「せめて自分のことくらい」
と我が子に思いをはせていきます。
でもこの状況は、障害を抱えたお子さんにとっては、
まるでコンクリートで塞がれているようではないでしょうか。
子供たちは、楽しいことはいつまでもやりました。
彼らが作るその世界観は、本当に素晴らしかったです。
嫌なことをやらせると怒りました。
子供たちの感情は、いつも自由でした。
だけど生活を支える家族は大変でした。
特に知的障害を抱えるお子さんのご家族は、本当に大変でした。
その生活、抱える問題は個々に違っていて、
本当の苦しみなんて、当事者にしかわからないだろうとは思うのですが。
けれど、コンクリートだらけの道で花が咲くように
汚染されている大気の中、木が育ち実を付けるように
見向きもされない雑草が、道端から生えてくるように
子供たちも、 できなかったことができるようになるのは、嬉しそうでした。
子供たちの中には、 ただただ、
”伸びていこう 広がっていこう”
それ以外にありませんでした。
「ただ伸びていこう ただ広がっていこうとするのが 命の本質意志」
私はこの言葉に出会ったとき
これが真実「命の本質意志」なのだと悟りました。
成長することを諦めてしまうのは、人間だけではないでしょうか。
どんな環境でもどんな状況でも
命は、ただ伸びていこう ただ広がって行こうとしている。
コンクリートを突き破るのは苦しいでしょう。
隙間を探して身体をひねらせるのは息もつけない思いがあるでしょう。
でも、「こんな苦しいことはやめてしまえ」
植物は一瞬でもそうは考えないのではないでしょうか。
逆にいえば、命がある間は
必ず魂は成長しようとしているはずなのです。
それは、小さな赤ちゃんも、お年寄りも、
私も、あなたも。
種からせっかく芽を出しても
最後にはお日様を見ることがなく朽ちていく草花もあるでしょう。
だけどその種は、
命ある限り、成長することしか考えていなかったのではないでしょうか。
それを教えてくれたのは、私よりずっと大変な思いをしている
障害を抱えた子供たちでした。
あの時出会った子どもたちを一人として忘れることはありません。
何回も会ってやっと私の名前を憶えてくれた。
ある日突然、それまでの「〇〇(施設の名前)の人」から名前で呼ばれました。
それは彼らには成長であり、
私には宝でした。
今は退職した会社ですが、
同じような仕事に就いてくださっている方に出会うと、
今でも感謝の気持ちがわきます。
どうか皆さんも、いろいろな場所で障害を持つ方と出会うと思いますが
理解と、そして敬意をもって接していただけたら嬉しいです。
世の中のすべての障害を持つ方とそのご家族の心の平穏と
そして成長せんとするすべての友人たちが
迷いなく辿り着けますようにと願っています。